『Intertwingled - 錯綜する世界/情報がすべてを変える』好評発売中

Intertwingled

このページでは、ピーター・モービルの最新著書『Intertwingled - 錯綜する世界/情報がすべてを変える』の序章と1章を含む、無料のサンプルPDFファイルをダウンロードしていただけます。

本書『Intertwingled - 錯綜する世界/情報がすべてを変える』(電子書籍・Kindle本)は、Amazon.co.jpで発売中です。

また、本書が生まれるまでのエピソードやその魅力、著者から日本のみなさんへのメッセージを、以下の記事でご紹介しています。ぜひ、ご覧ください。

以下では、1章からの抜粋をお読みいただけます。


1章 自然 / Nature

私たちがなにかをひとつとりあげようとすると、それがまわりの世界のすべてと引かれ合うようにつながっていることに気づく。—— ジョン・ミューア

いま私は、スペリオル湖の北西に位置する島の岸辺に立っている。ホンダ・シビックで9時間走り続けた後、島に渡るフェリー、レンジャーIII号に6時間揺られて、バックパックを背負った私は「アイル・ロイヤル国立公園」の多数の小島がひしめく自然の中へ放り込まれた。この岩だらけの、隔絶した保護区域を訪れる人は、他のどの国立公園よりも少ないくらいだが、オオカミとヘラジカの生息地として、生態学者にはおなじみの場所だ。それらの動物は、世界有数の長期的研究が続く捕食-被食関係の調査対象となっている。

もちろん、私は科学者としてここにいるわけじゃない。目的は、ハイキングだ。でも、私をこの場所に引き寄せたのは、その生態系の物語だった。1958年に調査が始まったとき、「自然のバランス」を保つ周期的・共進化的なパターンの一部として個体数がどう増減するのかは、定評ある数理的な補食関係のモデルで説明されていた。当初の数年間、事態は予想通りに進んだ。しかし、先見力のあった生態学者ダーウォード・アレンは、異例の長期的観察を続けることにした。そこで次第に見えてきた、劇的でダイナミックな多様性は、驚くべきものだった。

調査すればするほど、それまでの説明がいかに役立たずであったかを痛感するようになりました。アイル・ロイヤルのオオカミとヘラジカの個体数予測の精度は、長期的な天気や金融市場の場合と大差ない。アイル・ロイヤルの歴史を5年単位で切り分けてみると、同じものは一つもなかったのです —— 50年もかけて、綿密に観察してみても。[1]

今日のハイテク生態系の中で働く者にとって、これは謙虚に受けとめるべき教訓だし、これから起こる事態の予兆でもある。ユーザーエクスペリエンスやデジタル戦略に関わる場は、いくつものチャネルに渡って各種のデバイスやタッチポイントを統合する、「生態系/エコシステム」の話題で持ち切りだ。方向としては間違ってないけれど、私たちのモデルや処方箋は、自分たちがデザインする情報システムと運用する組織の真の複雑さに、偽りの姿を与えている。

先日、オンラインでの売上高が年間20億ドルを超えるフォーチュン500企業でのコンサルティング中に、クライアントの担当者の一人が説明してくれたのだが、もう何年もの間、数多くのコンサルタントが、変更を長続きさせることに失敗してきたという。「彼らがもっと一貫性を持たせなさいと言うので、とりあえずウェブサイトの大掃除をするのですが、またすぐに元のカオス状態に戻ってしまうんです。もう何度も、同じ過ちを繰り返してばかりで。」

この終わりなき無限ループは、原因を知ることなく対症療法で済ませてしまうことから生じる。誰でも身に覚えがある、悪い癖だ。私たちが抱えている問題には、人間の本性から生じるものもある。私たち人間は気が短い。効果は大きいが手間暇のかかる行動方針よりも、手っ取り早い満足や、効率という幻想の方を選んでしまう。そしてまた、文化も問題の一因だ。私たちが従っている制度やものの考え方は、工業化時代にとどまったまま。事業は機械の集まりとして設計され、専業化したスタッフが縦割りで配属される。それぞれが自分の担当業務をきっちりこなしているけれど、誰も全体を理解してはいない。

革命的な工業化が進んだ時代には、機械を中心とした見方が大成功をおさめた。情報化時代がやってきて、状況がどんどん多様化していく中で、それが時代遅れで非生産的なものに変わり果てた今でも、その呪縛から逃れるのがとんでもなく難しいほどに。古いモデルがまるっきり間違いだったというわけじゃない。それに、私たちはまだ、階層構造や専業化を放棄するつもりもない。でも、この世界は常に変化しているし、自分をそれに合わせていくことが欠かせなくなる。

情報化時代は、「連結性/つながりやすさ(connectedness)」を増幅する。ウェブ、ソーシャル、モバイル、モノのインターネット(Internet of Things、IoT)など、それぞれの変化の波が、つながりの度合いと重要性を高め、変化をスピードアップさせる。こういう状況の下では、自分たちの組織を生態系とみなすことがどうしても必要になる。これは比喩として言っているわけじゃない。私たちの組織は、文字通り、生態系そのものだ。そして、有機体の集団はそれぞれ環境と合わさって一つの単位として機能するようになるのに対して、さまざまなつながりと因果関係から成るウェブは、その境界を越えて広がっていく。

あらゆる生態系はリンクしている。複雑な、適応性のあるシステムを理解するには、その限界を超えたところまで目を向けなくちゃいけない。たとえば、アイル・ロイヤルの物語は、システム思考における一つの教訓になる。1958年に予測された個体数の推移は、古典的な捕食理論に根ざしていた。ヘラジカが増えればオオカミも増えるが、オオカミが増えればヘラジカは減り、ヘラジカが減ればオオカミも減る、ということ。面白くもあり有用だけれど、それは不完全なモデルだ。

古典的な捕食-被食関係

図1-1. 古典的な捕食-被食関係

1969年までにヘラジカの数は2倍になり、両者のバランスに大きな変化をもたらした。1980年には3倍にまで増えたが、その後は半数に減り、一方でオオカミの数は2倍になった。生態学者たちは、オオカミが獲物を絶滅に追い込むのかどうか、事態を見守っていた。でも2年後には、(違法に)飼い犬を島に連れ込んだ旅行者が不用意に持ち込んだ、犬パルボウイルスによる病気のせいで、オオカミの数は激減していた。

ヘラジカの数は年を追うごとに着実に増えていったが、結局は季節的な激しい寒暖の差やマダニの大量発生が災いして衰退してしまった。それよりずっと数が少ないオオカミは、近親交配のせいで、長期的に繁殖することができなかった。でも1997年の冬、あるオスの一匹オオカミがアイル・ロイヤルとカナダ本土を結ぶ氷の橋を渡り、しばしの間、その個体数を回復させたことがあった。でも今では、またしてもオオカミは絶滅の危機に瀕していて、科学者たちは、地球温暖化のせいでもう氷の橋ができることはなさそうだと悲観している。[2]

ここでの議論の目的から見て興味深いのは、この物語における衝撃が、「外生的ショック(exogenous shock)」によって引き起こされたことだ。それはシステムのモデルの外部からやって来る。生態学や経済学では、そういう破壊的攪乱を、めったに起こらず予測不可能で、それ以上追究しても仕方ない事象としてかたづけることが多い。でも、それはお気楽で危険な結論だ。だって本当は、そのモデルの方が間違っているのだから。

システムは外生的ショックを受けやすい

図1-2. システムは外生的ショックを受けやすい

私たちは、自らが作るシステムの中で、同じ過ちを繰り返してしまう。ウェブサイトを、まるで真空の中にぽつんと存在するものみたいに考えて、それを作っている。ユーザーとコンテンツの作り手から成り立つ生態系を思い描くことなく、先を急いでしまう。ガバナンスや文化が、組織の中の個人やチームにどんなインパクトを与えているのかも知らずに、効果測定を行い、業績を評価している。視野を狭めてプランニングし、コーディングし、デザインしたあげく、変化による不意打ちを食らってあわてふためいてしまう。

動き続ける複雑なシステムを理解し、管理したいならば、「フレームシフト(frame shifting)」[3]の技を実演することが欠かせない。焦点が狭いと、結果を予測したり形にしたりする能力は無に等しくなる。だから、いろいろな方面に向かう観点を集めて、システムを見つめ直すことを身につける必要がある。そして、自分のメンタルモデルの境界を超えていく、隠れたつながりや情報の流れ、フィードバックループを見出すには、モデルを変えなくてはいけない。

この生態系の時代、全体像を見渡すことが一段と重要になっているのに、それはかつてないほど難しくなっている。組織の縦割り体質や業務の専門化によって、誰もがちっぽけな箱の中に押し込められているから? そんな単純な話じゃない。もともと人間は、狭いところにおさまっているのが好きなんだ。安全な場所のような気がするから。でも、実は違う。もう、他人のことに知らん顔してはいられない時代だ。私たちは、箱(boxes)から出て矢印(arrows)の上を進んでいかなくてはならない[4]。未来は、つながる人たちのものになる。

こういう変革について語られるのがうざったいのも無理はない。何かを学ぶのは、誰でも気詰まりなものだ。どうしようもなく厄介なことに直面すれば、つい引き返したくなる。でも、なんとかしてその先へ進むと、いつかその価値がわかるような貴重なスキルや理解を重ねていける。真っ先に味わう恐れと苦悩を克服してしまえば、あとは楽しみながらやっていくことさえできるだろう。人生最高のルートの中には、足を滑らせそうな岩の上から始まるものもあるのだ。地図とコンパスを手にバックパックを背負い、悶々とベジタリアンジャーキーをかじりながらアイル・ロイヤルの湖岸に佇んでいた私も、自分にそう言い聞かせていた。

私はオオカミが怖かったわけじゃない。もう大して生き残っていないのだから。不安だったのは、バックパッカーとして旅をするのが初めてだったからだ。それまでのハイキングではいつも、結局はホテルに泊まっていた。最後にテントの中で眠ったのは、オライリー社のオフィスの裏手にあるリンゴ園でキャンプしながら参加する、フーキャンプ(Foo Camp)[5]というハッカーイベントでの一夜のこと。私はどうしても寝付けなかった。寒いし、尻は痛いし。翌朝、テントの中で震えながらも、園内のWi-Fiネットワークが使えることに感謝しつつ、自分のMacBook Proを立ち上げてホテルを予約したのだった。でも今回は、丸4日間も、一人ぼっちで厳しい自然の中に向かおうとしている。齢44歳にして、初めての経験。

そうなったのはもちろん、自分自身のせいだ。40代に入ってからの私は、自分をわざわざ厄介な目に合わせてきた。マンネリ化しがちな年ごろになってから、人生初のマラソンを走ったり、トライアスロンに挑んだり、冷や汗ものの新規のコンサルティング案件に取り組んだり。そして今、自分の本を出版し、こうしてベッドを背負って旅しているというわけだ。よかったらみなさんにも、厄介ごとを共にする仲間になってみてほしい。なぜならこれは、私自身の年齢だけじゃなくて、私たちの時代に求められていることなのだから。この情報化時代、知識の学び方を(そして捨て方を)身につけることが、成功の鍵となる時代に。変わることから逃げ隠れするのではなく、それを大切にしてしっかり受けとめよう。何か新しいことをやってみるたびに、私たちは自分を高める力を高めていく。経験は、自分に力を与え、自信を築いてくれる。それがあれば、自らの行いを見直すといったような大きな変革にも、いつでも応じられる。

システムの中の情報

1991年に大学を卒業したとき、身の振り方をまったく考えていなかった私は、ひとまず両親のいる実家に戻った。昼はバイト(なんの面白味もないデータ入力作業だ)、夜はパソコンを遊び道具にして過ごす日々。そんなある土曜日、地元の公立図書館をぶらついていたら、図書館学という分野の成り立ちにまつわる古ぼけた本が目にとまった。図書館についての知識を身につけていった私は、AOL、CompuServe、Prodigyなど、自分が足を踏み入れたことがあるネットワークについて考えた。どれもこれも乱雑そのもの。探しものを見つけるのは大変だった。そういうオンラインのコンピューターネットワークで、ライブラリアン精神を発揮して何かできないだろうか? その疑問が、私をミシガン州立大学の大学院に送り込んだというわけだ。

1992年、図書館情報学部での講義が始まると、私はたちまちパニックに陥った。ライブラリアン志望の学生たちと一緒に受講する、「Reference and Cataloging」などの必修科目でつまずいたのだ。今となっては、そういう講義を受けてよかった気がするけれど、当時の自分は、これは大失敗だと思い込んだほど。しばらくしてからやっと、自分なりのペースをつかめた。私が学んだのは、情報検索とデータベース設計だ。Dialogという、世界初の商用オンライン検索サービスについてあれこれ探った。そして私は、インターネットに無我夢中になってしまった。

ツールはどれも荒削りだったし、コンテンツは乏しかったけれど、インターネットには素晴しい未来が約束されていると感じずにはいられなかった。それは、さまざまなアイデアや情報へのユニバーサルアクセスをもたらす、グローバルなネットワークのネットワークだ。知を愛する人間なら誰でも、それに夢中になるに違いない。私もその一人だった。そして、「情報システムのデザイン」に、身を捧げることにしたのだ。

というわけで、図書館学部を巣立ったときには、自分のやりたいことはわかっていた。でも、働き口がまるで見つからない。そこで、自分が起業家になることにして、ルー・ローゼンフェルドやジョセフ・ジェインズと一緒に働きながら、「Argus Associates」という自分たちの会社を育てていった。いろんな人たちにインターネットの使い方を教え、Gopherプロトコルに基づいてネットワーク対応した、階層型のテキスト専用情報システムを構築した。そして、(イカした画像は出るけど「戻る」ボタンがない)世界初のグラフィック対応ブラウザー、Mosaicがリリースされたときに、今ではウェブサイトデザインとして広く知られているような仕事をやり始めた。

コーディングからコンテンツ制作まで、何にでも手を出したけれど、私たちが専門的に得意としていたのは、クライアントによるウェブサイトの構造改革や整理整頓を助けることだった。そういう仕事にはまだ名前がなかったので、私たちはそれを「情報アーキテクチャ」と呼び、実践的な新しい専門分野を打ち立てることに乗り出した。当初、その大きなよりどころとしていたのは、さまざまなメタファーだ。建築計画や青写真について語り、経路探索の概念や、道に迷ったときに誰もが感じるストレスのことを引き合いに出したものだ。

やがて、私たちの説明はより具体化していく。ウェブサイトのユーザーがタスクを完了し、必要なものを見つけ、見つけたものを理解するのを助けるような、体系化やラベリング、検索、ナビゲーションのシステムに力を入れるようになった。90年代後半には、それらに重点を置くことの意義がわかるようになった。みんな自分のサイトにコンテンツを詰め込み放題にしていて、誰かがそれを整理整頓する必要があったのだ。

情報アーキテクチャを、「共有される情報環境の構造的デザイン」と捉えていた私たちの公式な定義は、もっと幅広いものだったけれど、そんな定義なんて誰も気に留めてはくれない。みんなの注目を集めたのは、ワイヤーフレームだった。私たちの仕事のうちで、もっとも目につきやすいけど、もっとも表面的な要素だ。そんなわけで、私たちが実践している仕事は、ウェブサイトやワイヤーフレームと切っても切れない関係にあるとみなしていた人も多かった。

でも、90年代から00年代へと時が流れるにつれて、情報アーキテクチャは進化を続けた。私たちはワイヤーフレーム以外にも、ありとあらゆるツールやメソッドを駆使しながら、ユーザーのことを知り、アイデアを試し、複雑なものごとを明快にしてきた。そして、ユーザーエクスペリエンスのさまざまな質的要因のひとつにすぎないユーザビリティの枠を超えるべく、ファインダビリティやアクセシビリティ、信頼性といった、それ以外の質を高めようと努めてきた。

ユーザーエクスペリエンスのハニカム構造

図1-3. ユーザーエクスペリエンスのハニカム構造

そうこうしているうちに、私たちの実践の背景となっていた事情も変わっていった。ウェブ検索とSEOは、みんなの意識をホームページから引き離し、目的地と玄関口のどちらにもなる、見つけやすいソーシャルなオブジェクトのデザインへと向けさせることで、ウェブサイトの常識をひっくり返した。要するに、玄関のドアをいくつも用意するための計画をするようになったのだ。

私たちはWeb 2.0のいいとこ取りをしながら、ルールやフレームワーク、参加型アーキテクチャのデザインを身につけていった。そして、ウェブでできること、ウェブで望まれることを、クライアントや仕事仲間が目で見てわかりやすくなるように、モバイル時代のクロスチャネル型のサービスとエクスペリエンスをマップとして表現してみるようになった。

そこで実感したのは、クロスチャネル体験や製品/サービス一体型システムが身近になったこのご時世には、タクソノミーやサイトマップ、ワイヤーフレームだけを設計しても、あまり意味がなくなってきたことだった。それらと一緒に、カスタマージャーニーマップを描いたり、システムの力関係をモデル化したり、ビジネスのプロセスやインセンティブ、組織図に及ぼす影響を分析したりすることも、欠かせなくなってきた。

私たちの実践体系が進化し、古典的情報アーキテクチャと現代的情報アーキテクチャとのギャップが広がるにつれて、関係者が集まるコミュニティでは情報アーキテクチャそのものを説明しようと四苦八苦し、ついには「クソくだらない定義(defining the damn thing)」を意味するハッシュタグ(#dtdt)まで手にする始末となった。まあ、そういう内輪揉めが非難の的になったのも仕方ないけれど、これはこれで必要なことだったし、実りある奮闘ではあったのだ。自分たちが特定のメディアに依存しない観点を支持することで、ウェブ中心主義的世界観を脱ぎ捨てる助けとなったのだから。

アンドレア・レスミーニとルカ・ロサッティは、パベイシブ情報アーキテクチャ のマニフェストを掲げて、私たちを自立へと導いてくれた。

情報アーキテクチャは生態系となっていく。さまざまなメディアやコンテクストが互いに密接に絡み合っているときには、単一の孤立したエンティティでいられるアーティファクト(人工物)なんて存在しない。ひとつひとつのアーティファクトすべてが、より大きな生態系の中の一要素になる。

まもなくそこに新たな声が加わっていった。昔ながらの建築家修業を積んだホルヘ・アランゴは、建築家が形態と空間を用いて居住環境を設計するのに対し、インフォメーションアーキテクトはノードとリンクを用いて理解のための環境を設計するのだと論じて、使い古されたメタファーを一味違うものにした 。アンドリュー・ヒントンは、身体性認知 のレンズを通してものごとを見てみようと呼びかけた。そうすれば、デジタルな世界でのコンテクストのどこを見ても、物質世界でそれに相当するものと同じくらいリアルだとわかるし、言語は環境で情報はアーキテクチャだということがわかるという 。そしてダン・クラインは、リチャード・S・ワーマンのライフワークに学び、情報アーキテクチャのうちのアーキテクチャの部分に注目することで、「外見だけじゃなく中身をよくするデザインをしよう(make things be good)」とみんなを元気づけてくれた。

自分たちの専門分野がどこに向かうのか、それにまつわるアイデアの奥深さと多様性には、ワクワクした気持ちにさせられる。とは言え、私たちはバランスを崩しているかもしれないという不安もある。場を作ること(placemaking)に夢中になるあまり、アーキテクチャの中の情報を見失ってはならない。構造をデザインする私たちの強みとして、情報のフローやフィードバックループ、モチベーション評価尺度を管理するための適性も、ぜひ加えておくべきだ。

肝心なのは、何を作るかではなくて、どんな変化を生み出せるかということ。私がこの本を書いているのも、まさにそれが理由だ。私は「システムの中の情報の本質」を学び、理解し、明らかにしたい。ある面では、それはウェブを超えていくことでもある。モバイル技術とモノのインターネット(Internet of Things、IoT)は、物質世界とデジタル世界とを隔てる壁を崩し、新たな情報のフローやループを生み出している。

またそれは、古いサイトを新たに見つめ直すことにもつながる。私たちが作るウェブサイトは、マーケティングとコミュニケーションのためのチャネルに留まってはいない。何か作業をこなすための、豊かで、動きのある場所になってきた。ウェブサイトは、自らその本質に変化をもたらす組織の延長だ。それを管理するには、入力と出力、フィードバックループ、評価基準、ガバナンス、そして文化にまで、気を配らなければならない。

ウェブサイトは組織の生態系の一部である

図1-4. ウェブサイトは組織の生態系の一部である

でも、それじゃまだ足りない。もっと上を見るようにしよう。人生はあまりにも短いから、ビジネスのスキルを磨くことだけに甘んじてはいられない。誤情報やデマ、フィルタリングの失敗、情報リテラシーの欠如が招く判断ミスや不安は、社会全体を苦しめている。その窮地を脱するには、技術頼みではいられない。

インターネットは消費者や産業界には偉大な変革をもたらしたものの、教育やヘルスケア、政府活動の面ではそこまでの進歩を見せていない。しかも私たちは、無料であることの代償を、身をもって知りつつある。ここ数年の間に、新聞が、書店が、図書館が、プライバシーが、失われ始めた。みんな今では、広告の大海原の上で答えを探している。どこを見るべきか、誰を頼るべきか、何を信じるべきか、それらの問いについてじっくりと(あるいは反射的に)考えながら。

これらは一筋縄ではいかない問題だが、解決不可能なわけじゃない。すべての答えが見つかる分野こそないけれど、誰かと一緒なら、一人でやるよりうまくいくはずだ。システムの中の情報の本質について、自分が属するカテゴリーの外で私が書いている理由も、それに他ならない。これは情報アーキテクチャのことだけを考えれば済む問題じゃないし、私が図書館学の場を離れてからかなりの時間が経ってもいる。でも、そう問いかけることは重要だ。つながりは因果関係をもたらす。情報はあらゆるものを変える。私が進んで旅に出ようとするのは、そういうわけなのだ。(抄)

脚注

[1] The Wolves and Moose of Isle Royale by John Vucetich (2011). ↑戻る

[2] 今年の冬は、2008年以来初めて氷の橋ができて、16日間解けなかった。研究者たちは新たにやってきたオオカミはいないことを確認したが、今回初めて、逆にそこから出て行ったものがいることを文書に残した。アイル・ロイヤルからいなくなった、GPS首輪付きの成獣の一頭、イザベルという名で通っていたメスの一匹狼は、東北のミネソタ側の湖岸で死んでいるのが見つかった。後日の検視で死因が判明したが、ペレット弾で胸を撃たれていたのだった。 ↑戻る

[3](訳者注)フレームシフトは生物学の用語で、突然変異の一種のこと。さまざまな遺伝子突然変異の中でも、とりわけ激しい変化を生じさせる現象とされている。 ↑戻る

[4](訳者注)本書にはたびたび、箱(boxes)と矢印(arrows)のモチーフが出てくるが、これらは本書の重要な土台のひとつであるシステム理論で用いる記号によるメタファーとなっている。システム理論の各種ダイアグラムでは、箱のような「四角」は累積的変数であるストックを、「矢印」はものごとの流れを示すフローや、因果関係を示すリンクを表す。 ↑戻る

[5](訳者注)フーキャンプ(Foo Camp)とは、米国のオライリー・メディア社が2003年から主催しているイベントで、創立者のティム・オライリーや同社と縁の深い人物や注目している人物が集まる、完全招待制のカンファレンス。「Foo」とは「Friends Of O'Reilly」の略だが、プログラミングでよく使われる「foo/bar」(メタ構文変数と呼ばれる、日本語でいう「Aさん/Bさん」みたいなもの)にもひっかけたネーミングと思われる。現在では「アンカンファレンス(unconference)」とも呼ばれる、参加者自身がその場でプログラムを決めていく方式は、フーキャンプの一部の参加者などが後に始めた、バーキャンプ(BarCamp)という一般的なイベントでも採用されるようになった。 ↑戻る